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「実践と感覚」
私たちは、この言葉自体は、だれでも理解できていることでしょう。

しかし、この「理解」という言葉もそうですが、実際その人にとって、
どうなのかな?どういう具合でその言葉と繋がっているのかな?

が大切なのではないでしょうか。
それを具体的に、見ていきましょう。

まず、「理解」にしても、だいたいは、字面から読める、そして、
読んだときにイメージ、あるいは、ある種の感覚を身に感じ、

自然と違和感なく受け止められるといったところではないでしょうか。
いつもいつもそうした事細かな作業を意識的にすることは

ないでしょうが、
これまでの体験、経験がその時間的な過程を飛び越えて、

やってくれているわけです。
その人と対象とするある文字・語彙・観念とは、

この場合「理解」は、
常にこれまでの体験が過去の物としてではなく、

現在においても、実質、関係しています。
それで現在の成立において、意味を与えてくれている、

現在の進行に大きな役割を果たしています。
このような状態で、その人に「理解」の意味が与えられるわけですね。

では、「実践」と「感覚」は、どうでしょうか。
これまでの見方からすると、これも過去の物でない体験・経験から、

今の「実践」、「感覚」が成り立って、
それを読む・理解する人ごとに対して、意味が生じてきます。

ですから、人それぞれということになりますね。
それで、「実践」もある感覚がもてる、生じるという観点から見ると、

「感覚」も過去の体験・経験と繋がっているわけですから、
どうやら、共通な部分を持っていることになりますね。

重要なことは、
「実践」は、単なる行うこと、労働すること、

作業を完了することの物理的な動きの完了
を意味するのではなく、

その人に「感覚」が生じて、意味をなすと言うことです。
そして、「感覚」も逆に、「実践」を行っていくことで、

一度ある作業を完了させて終わりではなく、
ある種の「感覚」に到達できた時に、

初めてその意味をなすのではないでしょうか。
いかがですか。

だいぶ、難しいというか、混乱してきましたが、
要は、

「感覚」は、「実践」から生まれてくるもので、
その正しい意味は、「実践」の中で養われると言うことでしょうか。

そして、「実践」も「感覚」をもって、
その意味・価値が生じるというものですね。

ですから、別のように感じる「感覚」と「実践」の2語は、
深く繋がっているということが、分かりますね。

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実践と感覚

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