泉佐野市は、ゲンに対して教育の現状をどう説明するのか

はだしのゲン


はだしのゲン

前代未聞の教育行政の汚点が泉佐野市を蔓延っている模様です。
春を迎えて、全国的に気候が温暖になりつつある中、

泉佐野市には、怒りの黒い雨が降りそうです。
みなさんもご存じの、

原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン 」
を回収していたというニュースです。

理由がまったくお粗末極まりないです。
「きちがい」「こじき」などの表現が使われていることを

「差別を助長する」と問題視してのことらしいです。
さて、それでは、なぜこれがお粗末極まりないのか

説明が必要でしょうね。
この理由文そのものだけを取り上げると、何ら問題はありません。

適切なる処置であるに違いないですね。
では、いったいどうしてこれが間違った行動になったのでしょうか。

言葉、概念、そして、上記の説明文においても、
それぞれ独自には成立しない、という点が基本だと、

私は考えています。
文字化されているわけですから、それ自体、つまり記号のように

明確にその対象となるものに呼応すると捉えがちです。
「家」とか「犬」とか、私たちは、現実の物を正しくこの文字から

認識、再現させられます。
では、この理由文においても、いまの「家」・「犬」と同じように、

それが示す認識、理解が一つに定まるでしょうか。
容易に分かることですが、それは、場合によって違うでしょ!ですね。

つまり、完全にその説明文を正しく理解するためには、
それが成立している状況をみて、というより状況から

その説明が正しいかどうかが判明するわけですね。
すると、何をしなければならないかと申しますと、状況です。

どんな場合のことをいっているのかです。
人を侮辱する目的のためだけに使用されている差別用語なのか?

つまり、漫画はそうしたことだけを扱った作品かというのが
大切なところです。

それを、理解しないで、あるいは、無視して、
一部の表現のみをもって、

判断すると、今回の誤った行動となるわけです。
さらに、泉佐野市にとって悲劇なのは、

それを教育委員会が回収していたということなのです。
もはや、これでは、教育の破綻でしょう。

すべてをマニュアル化しすぎているのではないでしょうか。
教育はロボットではありません。

人間の温かさを育てる教育にして欲しいものです。

はだしのゲン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です